考えるために書くということ

 昨年の夏頃、現在勤務している事務所の社内報用に1,500文字程度の文章を書くことになった。打合せの資料や議事録などで日常的に文字情報には触れているものの、業務とは関係のないところでまとまった文章を書くのは、6年ほど前に共著での本が出版されて以来である。

 

 本業である建築設計の業務では、設計主旨(=コンセプト)というものを考える機会がある。ある建物を説明するとき、文字通り、設計上の主な要旨を端的にまとめたものである。主旨というと、一本の樹を育てるとき、その種としてまず初めにありそうなもののように聞こえる。ただ設計者にもよるだろうが、この設計主旨なるものは、必ずしも設計の初期段階に組み立てられるものではない。

 建築設計においては、扱わなければならない情報の膨大さから日々条件が更新され、物事の優先順位が変わっていく。設計期間についても一定の規模になると1年以上かかるのが珍しくなく、そのような状況下において初期段階で組み立てた設計趣旨に向かって最後まで突き進むことができるのは非常に稀である。

 従って多くの場合、設計主旨はそれが必要とされる少し前のタイミングで、そのときの考えをもとに組み立てられる。ただ、いざ設計主旨をまとめるというタイミングで、一からそれを考え始めるかというとそうではない。それまでにうっすらと考えていたことを整理し、自分が考えていたのはこういうことではないか、とある種の仮説を立てるようにして、線でつないでいく。

 こうしてつくられるある種の論理は、新たな気づきを与えてくれる。それまで考えてきたことを整理し客観的に見つめなおすことで、それまでの設計を発展させ、ときには見直したりもする。逆に言えば、この線でつないでいく機会がなければ、これらの気づきは見つからなかったかもしれない。気づきのないままつくられた建築は浅く、つまらないものになってしまうのではないか。

 

 社内報用の文章を書いているときもそうだったけれど、文章を書くことも建築設計と似ている、と感じるときがある。書く内容を考え、キーボード を叩いているうちに、新たな気づきが生まれてそれまでの頭の中を更新していく。

 日々の生活のなかからそんな気づきを探すために、ここを文章を残していく場所にしていきたいと思う。